泥釉七宝上沼緋佐子作品集
|
| 泥釉七宝の世界 | ||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
![]() |
||||||||||||||
| 曙光 | ||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
|
||||||||||||||
| 作家紹介 上沼緋佐子は少女期より七宝を始めた。 女子美大を卒業後も七宝制作に打ち込んできたが 1992年文化庁の泥釉七宝の再現プロジェクトに関わり、 自らの追究すべき技法にめぐり逢った。 明治以降の日本ではメタル七宝の透明な釉薬が一般的になり それまでの泥釉七宝の技術は途絶えてしまった。 透明な宝石の輝きの擬せられるメタル七宝に対し、 泥釉七宝は東洋的な玉の落ち着いた気品を漂わせている。 泥釉七宝との出会いと、 縁あって移り住んだ伊勢・月山を遙拝する山形の暮らしが、 上沼緋佐子の世界を形作ったといえる。上沼緋佐子の作品は 日本古来の伝統技法と意匠感覚が調和を見せ 2004年には長年苦心した鮮明な緋色の発色に成功し発表している。 平成21年の比叡山延暦寺奉納に続き、 平成22年の国宝殿寺宝展に於ける国宝経箱との同時展示。 比叡山延暦寺の境地に触発された作品は、新たな構想と色彩に溢れている。 |
| 泥釉七宝とは 泥七宝は江戸初期小堀遠州に愛でられ、桂離宮・修学院離宮などの 襖引手、釘隠し等として制作され作品は現存している。 その後、七宝は衰退して長い年月が過ぎた。 江戸末期、泥七宝は再現されるが、まもなく、 明治初期の日本ではメタル七宝の透明な釉薬が一般的になり それまでの泥七宝の技術は途絶えてしまった。 透明な宝石の輝きの擬せられるメタル七宝に対し、 泥釉七宝は東洋的な玉の落ち着いた気品を漂わせている。 |
泥釉七宝 上沼緋佐子プロフィール












